06OCT.2019@第3回JBCF秋吉台カルストロードレース, JPT #22
第3回JBCF秋吉台カルストロードレース
– ⼭⼝県美祢市/秋吉台特設コース –
29.5km/5周回 147.5km
1位 オールイス・アルベルト(マトリックスパワータグ) 3:57:21 ave37.28km
2位 岡 篤志(宇都宮ブリッツェン) +00:01
3位 フランシスコ・マンセボ(マトリックスパワータグ) +00:06
4位 石橋 学(TEAM BRIDGESTONE Cycling) +00:16
5位 増田 成幸(宇都宮ブリッツェン) +00:16
6位 ホセ・ビセンテ・トリビオ(マトリックスパワータグ) +00:22
…
9位 米谷 隆志(LEOMO Bellmare Racing Team) +00:35
DNF 岩瀬 照(LEOMO Bellmare Racing Team)
DNF 岸 崇仁(LEOMO Bellmare Racing Team)
DNF 中川 由人(LEOMO Bellmare Racing Team)
2019年Jプロツアーの最終戦となる「第3回JBCF秋吉台カルストロードレース」が11月6日に山口県の秋吉台を舞台に開催された。今季の個人総合とチーム総合のタイトルはこの最終戦までもつれ込み、各チームの思惑が激しくぶつかり合う展開が予想された。昨年、才田選手が2位、米谷選手が3位と表彰台に2名を送り込んだLEOMO Bellmare Racing Teamではあるが、個人/チーム総合を狙う強豪チームに対して一矢を報いることが出来るか否か、チームとしても最後の結果を求めたいレースとなった。
当日は午前中から雨が降り続き、一時は土砂降りの荒れ模様となるも、Jプロツアーのレースが始まる正午には晴れ間がのぞく。今年は雨のレースが多かった印象だが、最終戦も雨に翻弄される事となった。引き続き才田選手を怪我で欠くLEOMO Bellmare Racing Teamからは、岸・米谷・岩瀬・中川の4選手に加え、この日も宮澤監督が出場。Jプロツアーのスタートラインに並んだ79名が、2019年シーズン最後の戦いに向けて走り出した。
展開は戦前の予想通り、個人/チーム総合に絡むマトリックスパワータグと宇都宮ブリッツェン、そしてチームブリヂストンサイクリングの3チームが主導権を握る。序盤に中川選手を含む逃げが形成されるものの、この3チームがコントロールして4周目に吸収。また、4周目の激坂区間「カルストベルグ」では集団のペースも上がり、最終局面に向けて2−30名程に絞られる。最終周回の5周目。細かな出入りがあるものの、集団は一つのまま最後の勝負所「カルストベルグ」に戻って来た。この激坂区間での戦いを制したオールイス・アルベルト(マトリックスパワータグ)選手が優勝。同時に今年の個人総合も獲得した。LEOMO Bellmare Racing Teamは、終始メイン集団内でレースを進めた米谷選手が35秒遅れの9位、岩瀬・岸・中川の3選手と宮沢監督兼選手はDNFとなった。
※今回もレース展開の詳細は(いつもの)米谷選手レポートでお届けします。
ローリングスタートが終わるとアタック合戦が始まるが、有力3チームの動きはない。シマノレーシングが繰り返し動いているが静観されている感じ。コース奥側の周回で中川選手を含む5-6名が抜けだしていった。シマノレーシングが1名入っていたが、それ以外はクラブチームだったので反応せず。中川選手はそのまま逃げに乗っていった。
メイン集団は逃げを容認してペースを落とし復路の登りへ。序盤に各チームがどう出てくるのか分からないため集団前方で登ろうとしたところ、宮澤監督がブリッツェンの隊列の横でカルストベルグの登り口まで位置取りをしてくれ、楽に集団前方で登り始めることが出来た。登り中腹から早速マンセボ選手が2回ペースを上げ、かなり苦しんだが、集団10番手以内で頂上を通過した。1周目ということもあって集団は繋がったが、対応できている選手は15人程度の印象だった。マトリックスはアタックを継続せず、カルストロードに入ったところで互いを見合って牽制。後続が合流するとブリッツェンとブリヂストンがコントロールを始めた。ここで、この2チームは集団ゴール狙いだとはっきりした。
途中ホンダ栃木の石原選手が単独追走に出たが集団は対応せず。2周目の奥の周回で中川選手が逃げ集団から戻ってきた。岸選手に調子を聞くと厳しいとのこと。岩瀬選手は復路の登りでは集団にいるのを確認したが、カルストベルグを前で登れていないのでやはり厳しそう。
ブリッツェンとブリヂストンがコントロールを始めたことで、コンチネンタルチームの後ろをクラブチームが取り合う状況になる。イナーメとヴィクトワールが組織的に隊列を組んで位置取りをしており、自分はイナーメの紺野選手と話して隊列に入れてもらう。これで、自分はイナーメとまとまって位置取りができ、イナーメとしては協調する人数が増えるので位置取りしやすくなるという状況になった。その後、大きな動きはなく、淡々とタイム差を削りながらレースは進んだ。4周目の奥の周回の手前で岩瀬選手と話すと「かなりキツイ」とのこと。
4周目復路の登りでマンセボ選手がアタック。警戒していたためすぐに反応し、割れた10名程の集団には入った。しかし、ブリッツェンとブリヂストンが対応するため、ペースが落ちて次の動きにつながらない。そこからカルストベルグ、5周目往路の登りとマトリックスのホセ選手とマンセボ選手が交互にアタックを続けたが、すべてブリッツェンとブリヂストンが対応した。
奥の周回でシマノ木村選手が単独で抜け出したものの、ブリヂストンのコントロールで復路登りで吸収され、集団は人数を残したまま最後の登り勝負に。15番手付近で下りに入ったが、これまでとは段違いに速い下りがどうしても怖くて番手を落とし、集団後方で登り始めることになる。弱虫ペダルの織田聖選手がアタックしているのを見ながらペースを刻んで1人ずつ回収していくと、残り200mあたりで10番手と言われた。最後はペースを上げてもう1人を抜き、聖選手にギリギリ届かずにゴール。最後の下りで大きく番手を落としてしまったことが失敗。一度ラインを外して番手を下げ始めてしまって流れに乗れなくなり、最後尾近くから登り始めることになった。前で登り始めていれば5番手以内の可能性は低くなかったと思う。
PHOTO REPORT
土砂降りの午前中から一転、Jプロツアーのスタート前には虹がかかった。
1周目の逃げに乗った中川選手、激坂区間の「カルストベルグ」では逃げ集団から少し遅れて登ってきた。
1周目のカルストベルグを集団前方で登ってくる米谷選手。岩瀬選手も集団中程で激坂区間をクリアして行く。
チームの位置取りアシストを終え、1周目のカルストベルグを最後尾で登ってきた宮澤監督兼選手。
序盤は集団内でレースを進めていた岸選手だったが、体調の影響もあり、メイン集団から離脱。
序盤の逃げで脚を使ってしまった中川選手が単独でカルスト台地を進む。ハンガーノックもあり、この後でレースを降りることになったが、最終戦で積極的な動きを見せた。
米谷選手は安定して集団内をキープ。イナーメ信州山形と協力体制を組み、コンチネンタルチームの後方で位置取り。
奮闘していた岩瀬選手だったが、終盤で力尽き、VC福岡の佐藤選手と集団から遅れる。
レース最終盤に向け、30名程に絞り込まれたメイン集団がカルストロードを進む。
最後のダウンヒルで番手を下げてしまった米谷選手は、9位でレースを終えた。
RIDERS REPORT
米谷選手:
去年はレースを動かした上で自分が3位、才田さんが2位になった思い出深いレース。今年は才田さんを怪我で欠き、各チームの思惑もあって全く違ったレースになることは予想できたが、自分向きの好きなコースなので後半戦の中でも特に重要視していた。直前週の練習と前日のチームタイムトライアルで調子が悪くないのは確認。ピーキングという意味では昨年の方が上手く行えていたが、今年は全体的に力がついている実感があった。
今年はマトリックスのオールイス選手と宇都宮ブリッツェンの岡選手が個人総合を、マトリックスとブリヂストンがチーム総合を僅差で争っているため、この3チームがレースを動かしてくることが予想できた。自分は集団で消極的なレースをしてもチャンスがないので、有力な逃げができそうなら躊躇なく動こうと考えていた。特に総合に関係ないシマノは積極的に動いてくるのではないかと予想し、それに3チームがどう反応するかで対応を決めようと考えた。
5月の事故以来、特に高速の下りがどうしようもなく怖い。もし転んだら、ということが頭をよぎった瞬間にそれ以上突っ込めなくなってしまう。それは分かっていたことなのでなるべく前から下りに入ったのだが、足りなかった。そもそも集団で最後の登り勝負になってしまったのは自分としては残念だった。とはいえコントロールを抜けだす隙があったかといえば難しかったとも思うので、最後の下りでの失敗以外はやれることはやったと思う。去年の再現とはならなかったが、異なる状況下で全力は尽くした。
これで今年のJPTは終わり。トップ10は4回、表彰台は無し。力が付いてきている実感はあり、実際に後半戦は交流戦以外は安定して走れたが、怪我でかみ合わない前半戦を過ごしたのが痛かった。去年優勝しているジャパンカップオープンまであと2週間。今年もチームとしていい戦いができるように準備していきたい。
岸選手:
前日のTTTが終わった後、コース試走をした感じでは脚の調子も良かった(体調は変わらず喉の痛みと鼻水)。レース序盤はメイン集団で走るったが、激坂に耐え切れず3周でDNF。
最後の最後に体調を崩してしまったのを言い訳にしたくないが、不甲斐なさすぎる最終戦となった。年間通して1回も良い走りができておらず、自分的に苦しかったし、チームにも申し訳ない1年だった。JCオープンでは最後の悪あがき。4人で笑って終わりたい。
岩瀬選手:
JPT最終戦という事で気合が入っていたし、コンディションの良さも再確認。途中周回に設定された地元賞を狙うため、レース序盤から前に位置取って展開が見える位置で走っていたが、逃げに乗れずにすぐに集団での走りに切り替え。
1周目のカルストベルグでマンセボ選手のペースが速く、耐えることは出来たがダメージが残った。米谷さんの近くや集団の前方に位置取って周回を重ねる。激坂区間以外のアップダウンは集団が流れていて、楽に走れたため、脚を揺らして乳酸流したりと後半に備えながら走った。3周目付近でチェーンが落ちてしまったが、集団のペースが落ち着いていたので冷静にペースで踏んで集団復帰。ここまで3回の激坂をこなしてきたが、ダメージは蓄積されており、少しのインターバルもキツかった。次の4周目の激坂区間で集団から遅れてしまったが、集団ペースが落ちていたのでアップダウン区間で復帰する。そこから集団の前方まで上がって回復を試みたが、アタック合戦が始まり数発で集団から離れ、5周目には入ることが出来ずにレース終了。
コンディションは良かったが、地元賞への逃げにも乗れず、集団内で休みながら走っていただけなのに千切れたのは悔しかった。単純に脚がいっぱいになり言い訳なしのDNF。JPT最終ラウンドで完走できなかったことは心残りになった。
最後に、今シーズン、沢山の遠征をサポートしてくれたチーム・関係者・スポンサー、そしてシーズン通して応援して下さったファンの方々には感謝の気持ちでいっぱいです。2019年も応援本当にありがとうございました!
中川選手:
今回はとにかく16km地点の地元賞を狙うつもりで走った。リアルスタート後に何度か数名で抜け出しを試みるも、有力チーム勢が容認せずに吸収される。ここでは逃げは決まらず、10km地点あたりでのアタックが決まると判断してそれに備える。奥のサファリパーク周回の平坦から緩斜面区間で岸さんに「これ行け!」と言われて反応。このアタックが決まり4名の追走に入る。この前に2名が先行していたが、その存在は知らなかった。決まってすぐの緩斜面区間はキツかったが、下り区間で脚を落ち着かせてスプリントに備えた。しかし16km地点直前で先行する2名の存在を確認。それから程なくして先行2名と合流して6名での逃げになる。上りはきつく、逆に緩い下りは積極的に前を牽いた。しかし最後の急な下りで少し遅れてしまった。雨が上がった直後で路面の状況が分からず、気持ちが引いてしまった。皆条件は同じなので言い訳はできない。
カルストベルグの上り口で合流するも、踏んで合流したこともあってすぐに遅れてしまった。カルストベルグ後にヴェントス伊藤選手とヴィクトワール桂選手と合流して3人でしばらく走るもサファリパーク周回の途中で集団に吸収された。それから集団内で少し走るもハンガーノックで力が入らず、またここまで力を使っていたこともあり、ちょっとした上りで遅れてしまって2周したところで降ろされた。
今回はまず地元賞を取ることが出来なかったのがとても悔しかった。先行の2名は自分がこれは決まらないと思って下がった時に決まったらしく、この点は判断を誤った。そして逃げに入ってからはシマノ木村選手、エルドラード水野選手との力の差を実感した。そして最後ハンガーノックになったのは逃げの間に落ち着いて補給を取らなかった事が原因。
JPT最終戦にして、自らチャレンジし、ロードレースらしいことができたのは良かった。ただ走っているだけでは得られないものを得ることができたと思う。
宮澤監督から
(後日掲載予定)
PHOTO OF THE DAY:
Text: Kensaku SAKAI/FABtroni+camera × P.A.V. and Takashi MIYAZAWA, Edit, Photo&Comment: Kensaku SAKAI/FABtroni+camera × P.A.V.